「使い捨ての情報」について、帰り道考える
自転車に乗った若者達の会話で、 携帯電話のサービス(?)をどうすればどうとか話してたのが発端
こんな know-how は所詮、 電話会社が決めた枠組でどう立ち振舞えば損しないかという情報で、 時代が変れば価値が 0 になる情報
ちまたの「パソコン教室」 (って政府が講習の金出すの出さないの言ってた気もする…)ってのも、 MS が(自分が良いように)決めた当座の枠組で どうすれば使える(?)かの know-how を教えてるのだろうが、 そんなもの3年たったら無価値だろう
「使い捨て」で思い出したのが、最近見た 「 使い捨て携帯電話」
この携帯電話、モノ自体は素晴らしいと思うけど、 「使い捨て」という標語が付くと嫌な感じ
そうしないと、流行らないのか(注目されないのか)
「timely な論文」ってのはあるだろうが、 「使い捨て論文」は書きたくないな