商業ベースに乗らない「教科書的な本(というか文章)」を web で公開するってのは、よい方向か?
そもそも(物理の)教科書など専門書は「売れない」から、出版社も動かない
売れることを考えると、広く支持されないといけなくて、 これはそもそも「専門書」の定義と矛盾する
売れることを考えるから、大学の講義で使うような教科書ばかり出る (大学生という購買客が想定できるから)
似たような本がいっぱい出るが、 何で付加価値を付けるかってので、「有名な」先生に (初歩的なことを)書かせる
こんなもの、おもしろいはずはない (ってのは、自分が既に専門家になってて、その「購買層」からはずれた という要素が大きいのだろうが…それだけかな)
自分の読みたいような本が無いってのが、不満の原因か (と言っても、本屋で立ち読みなど、ここ数年してないが)
5/19/2006: 昔出来たことが今出来ない原因は何なのか (Gazeley の本)
結論: 研究者がその専門知識を本にして売って生計を立てるという道は、 絶対に不可能である
cf. 8/2/2002, 3/6/2001
世の中には、 人の書いた本の copy を授業の教科書にして生徒に無理矢理買わしてた 大学教員もいたように記憶するが (医学部だったかな)
確か、著作権絡みで問題になったのだと思うが、 それ以前の問題であるように思うな、 どういう顛末になったのやら
毎年 100 部売れたら、どれくらいの収入になるんだ?
一冊 2,000円で、丸々ポッポに入れても 20 万、 やっぱり小遣い程度か…
付記: 森博嗣は大学教員の収入だと線路を敷設する土地が買えないからと言って 小説を書いたんだそうな (cf.3/27/2007)。 金のために書くならば、対象は大衆を狙わないといけないとは、 言われてみれば当り前だが。
売れなくても、知識を広めることには「意義」はある
どうせ売れないんなら、 プレミアが付くまで抱え込むコレクターのようなことせずに、 ばんばん公開してしまえ、という気分
11/10/2006: 知の共有としての science
6/1/2006: 雄弁は銀、沈黙は金 (銀の方が価値があるの意で)
4/24/2006: 手の内を隠すやつなんて、ろくなもんじゃない
10/24/2003: 囲い込まないだめなモノは屑だ
研究が忙しくて、自分のやったことを体系立ててまとめる時間などない、 という状況はよろしくない(のではないだろうか)
大事なのは、目前の仕事をいかに要領良くこなせるかという skill じゃなくて、 個々の仕事の背景にある spirit というか、 未だ言語化すらできていないモノを掘り出すことだろう
前者を「サラリーマン的」とか 「兵隊的」とか 「ボスの手下」と言ったりしながら、 要するに愚痴っているわけだが (←5/29/2006:肩書き社会)
今、兵隊にならないといけない状況で、 生理的になれず、 (おそらく) boss にとって「難しい」 post-doc になってるんだろうな、 と客観的に思いつつも、 やっぱり押えるべきところは押えていこうと思い直す日々
バランスが大事、というのはここでも大事で、 output の無い状態は裏でどんなに頑張っててもダメなんだ
氷山になってればいいんだろう(ちょっとでも水面から出てれば)
でも、比重がでかいんだろうな、多分
ならば、底に着くまでひたすら積み上げでから顔を出すしか、ないんだろうな
実際、本音としては、氷山みたいなプカプカした事は、やりたくないし
しかし、そもそも底は存在するんだろうか
3/12/2008: 「潜水(素潜り)」というたとえ。
サマリー:研究について。
6/8/2006: いわゆるひとつの体系立ててまとめたもの
多分、昨日読んだ 「雑誌は死に体か?」 (moriyama 02.12.24 から) が影響していると思う
5/22/2002: 教科書を書く気だった
12/29/2002: 「売れない教科書」プロジェクト開始
9/23/2010: 連ツイにて、教科書より論文かこうかな