lancaster 観光
今回の旅行、いろんな意味で、「どう生きて行くか」ということを考えた
「 amish は我々を必要としていない」というのは、amish farm and house で 説明していたおっちゃんの一言
驚いたこと
amish も税金 (所得税) は払っている
でも social security は払っていない
老人は community が support するので、必要ない、ということらしい
アメリカに骨をうずめるつもりの無い外国人も、払わないという option が 取れないのかなぁ、というのは自分の話
外の社会に依存することを嫌うから、 電力を引かない (電線を外から引っ張らない) らしいが、 携帯は使っているらしい
前に pennsylvania の amish market に行ったとき (9/21/2002)、 腰に携帯付けている amish がいて、 あれは格好だけ真似した偽物だと思ったけど、 やっぱり本物だったのかな
amish の curch に入る入らないは個人の意志で、 入らなければ普通の (というのが正しいのかどうか分からないが) 生活をするんだろう
入らない子供の割合は 1 割くらいと言っていた
amish の人達は、観光客(私達)をどう見ているのかな、とは、 amish の人達を見るたびに思った
まるでサファリパークだな、と思った
私は、一種のあこがれや羨望を持って見ていた訳だが、 他の観光客はどうなんだろう
もう一つ思ったのは、こういう生活(community と言うべきか)を維持するためには、 やっぱり「宗教」が必要なんだろうか、ということ
実際、個人的にはかなり憧れる生活スタイルなんだけど (但し、computer は欲しいなとか、テレビは見たいなとか、あるけど)
宗教的な視点は、そう簡単に共有できるものではないし
逆に宗教によって強制されてそういう生活をしている人と、 まったくの自由意志で「そういう」生活をしている人ってのは、 何か決定的に違う気がする
個人レベルでやるには問題ないだろうけど (単に田舎に引っ込めば済む話だし)
共同体みたいな support する基盤を求める時に (これは、現実的になるとき、やっぱり避けて通れないかな)、 何らかの求心力とか、 下らない power-game を排する「大きな力」みたいなものが、 やっぱり必要になって来るのかな
6/15/2006: 停電で思ったこと。
1/23/2011: アーミッシュの人々へのあこがれと共感。