「目先を変える」ということを 書いた のは、日常生活の話だった
んだが、ここ数日の原稿書きで、 研究の方の閉じてた引出しをいろいろ (literally) 開けたりして、 ちょっと感じるものあり
fluctuation-dissipation を眺めていて、 そういえば佐々さんのこの辺の話はどうなったのかなぁ、とか
んと、それが今の SST なんだろうか
もっと formal な部分での現状整理は、 (確か「した」とか「する」とかあったと思ったけど) どうなったんだろうか
というのは、圧倒的な他力本願モード (というと、お坊さんに怒られるが)
そう言えば、一時期流行った関本さんの langevin の、 そのあたりの本が出るとかいう噂はどうなったのかな
そっちのノリで、ちょっと考えたりもしていた
付記 : 岩波から出たらしい (6/18/2004)
その昔蒐集した FDR 関係の 論文 (けっこう集めてた) を見返したり
というのは、D 論の直接的な展開方向 (の一つ) であったから
その時はそちらを取らず、より pure なもの (ってのは分散系粘性流体力学) を選んだ
このことにより、 それまでのプカプカ・モードから脱して、海底にはたどり着けたと思う
まだそこから浮上出来ていないことが、最大の問題なんだが
もっと軟派な (というか、派手なというか、でかいというか) 選択も有ったけれど
植村さん (6/18/2003) の修論見て、どうなってんだろうと思ったり
流体レベルと分子レベルの記述の階層があって、 圧倒的に分子レベルに関する知識が欠乏していることを実感した
その癖、分布関数の記述 (fokker-plank とか smoluchowski) よりも 粒子記述 (langevin) の方が好きとか、 昔も、今も言ってるからなぁ
現実問題として、今実際に二流体屋さんと日々戦っているわけだが
彼 (ら) にすると、これまで粒子屋さんと戦って来たが、 奴らは頑固で狭量で閉鎖的で、ほとほと疲れたと言ってる
私は多分、粒子屋さんになるんだろうけど、 無所属新人なので、そういう下らない歴史は (意識的に) 無視
と同時に、その辺への関心がやはりずっとあったのか、 関連する文献を結構持っていることも発見
論文を読むのが徹底的に遅いし、 それゆえ必要を感じないと基本的に読まないし
読むために研究者になったんではなく、 研究するために読むわけだから (言い訳半分)
研究者それぞれに彼ら彼女らの story があるし、 それにどっぷり浸かると、その流れでものを見てしまうし
それが流行で、それが流行に乗るということ
motivation の生成過程を cut できるので、 研究生産性は、あるいみで、高くなるんでしょう
そこには、しかし「寅彦的時間」は、ない
intro なんか読まずに、中身だけ (式だけ) 見る、という方法論も、あるのかな
でも個人的には、論文で一番面白い部分は intro だと思っている
書くのが一番難しいのも intro だ
subject を選んで、intro 選集って作ったら面白くないかな
あいつの展望はてんでダメだったとか、 こいつは自分の結果はショボかったが良いとこに目を付けていた、とか
そういう解説を書くのが、大変そう
と、どうも状況がそっちへ流れろと言っている気がする
そういう時に、無意識にブレーキを踏む自分がいるんだが
最近、絶対的に論文蒐集をさぼっていることは、事実だ