市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

久しぶりに猪瀬


  • 当事者が (バランス感覚から?) 「成功だ、自分が勝った」と言っている部分は、 とりあえず脇に置きながら読む

    • 先に借りて (4/3/2004) 、 今もまだ読みきれていない、分厚い文藝春秋には、 委員会の猪瀬の補集合の人達の彼らからの主張が載ってて、 そこではかなりぼろくそに言われていた

  • 第290号【座談】(4月22日)「『こころの王国――菊池寛と文藝春秋の誕生』 作品誕生秘話。そしてこの作品にこめた思いについて」」 ; 以下、猪瀬の発言からの引用

    菊池寛の謎を解くことによって、夏目漱石の『こころ』にまで到達するのです。 なぜその後の日本文学がだめになっていったのかというと、 『こころ』の世界――不労所得で暮らしている先生と就職しない大学生の世界、 高等遊民の世界が、田山花袋の『蒲団』に代表される私小説の流れと 合流してしまったからなのです。そこには社会がない。

    文学は日本の産業を支えている世代に受け入れられるものとして なくてはならなかったのですが、漱石の『こころ』の世界と 田山花袋的な私小説世界が合流することによって、 日本の文学は、いわばフリーターのための文学になってしまいました。

    日本のジャーナリズムは現在もそうなのですが、 ずっと甘えの構造できている。

    「文学部は法学部に食わしてもらっていてもいいんだ」 という甘えが作家にはあったし、いまもまだあると思う。 それは間違いです。 文学部がソフトウェアを開発して外貨を稼がないといけないのです。 既存の枠組みのなかで、自分は食わしてもらって当たり前、と平気でいてはだめですよ。

    結局、みんな官僚のほうが偉いと思っているのです。 本当は作家やジャーナリストのほうが偉いのに。 その自信のなさが僕は情けないのです。

    社会大衆党と近いフェビアン協会にいた人というのが、 大宅壮一とか木村毅とか、賀川豊彦の従兄弟の新居格といった人たち。 彼らは評論家でしたが、日本の社会の動きや大衆のことをじつによく見ている人たちでした。 菊池寛もまた、その位置にいた人だったということなのではないでしょうか。 日本がその後どんどん統制的な社会に変質していくなかで、 つねに批判的だった人たちの側に菊池寛もいた、という。

    自分のない人たちが、 そのつど海外の流行思想に影響され帽子を取り替えていたのとは対照的です。

    本気で3年やれば勝てるのです。 メディアにいったい何千人いますか? 大学の先生は何千人いますか? さほど本気でやっているとは思えないのです。 政策を変更させることは可能なのに……。


  • 第289号【対談】(4月15日)「道路公団民営化に期待すること――交通ジャーナリストの視点――」

  • マスコミがダメってのは、やっぱりかなり深刻なのかな

  • あと、文学部は理学部、作家は科学者 or 研究者と思いながら読んでいた