「04年度退職教官インタビュー 生命科学研究科 柳田充弘氏(京都大学新聞)」 @自主構造研
「第一期ブログpdf ファイルー夏の写真 3 2005-08-25 14:38」 @mitsuhiro より
以下、引っかかった部分を引用しておく
閉鎖性それから、卒業生が大学に残る純粋化が進んでいます。 どこの大学でも、優秀な卒業生がいたら、 自分の大学を弱体化させないように囲い込むという作業がよく行われます。 その度合がますます激しくなっているような気がしてならないですね。 結構深刻な問題だと思うけど、若い先生は意外にこれを悪くないというのですよ。
日本の大学は、国内市場での競争しかないんです。 学生白身が海外の大学と比べるということもない。 最も閉ざされた業界ではないでしょうか。 教師がみんな日本人なのも、日本語が出来るから。 女性がいないのも、これまでが男性ばかりだったから。 教授になるのは四十五歳くらいから始まって定年までなので、 日本人・男性・四十五歳から六十三歳まで・ さらに同一大学出身者という非常に狭い範囲の人間が大学を運営しているわけですね。 そのことについて誰も疑問を持たない。 …
大学に自浄作用はない京都大学で現場の人間が必死にやっているのは、 自分の研究の競争だけを必死にやっているだけで、 はっきり言えば大学がどうなるかなんてこと知ったこっちゃないのです。 何言ったって大学なんか変わるはずないと直感的に理解しているんです。 だから、大学が変わる気運というのは、内部から出てくることは絶対にないと思います。 悲観的に聞こえるでしょうけど、これは事実です。 私も三十六歳で教授になるという幸運に恵まれましたが、 自分を放っておいてくれと絶え間なく言いながらアメーバ活動を二五年間やってました。
僕は単純に政府が命令する以外ないと思う。内部からは変わらない。 …
――それは、大学としては非常に情けない形ですが。
そりゃ情けないよ。だけど、自浄なんてことは絶対にない。 四十五年間の経験から確信を持って言えますよ。
いろんな意味でこれから京都大学がどうしようかということについて、 「いままで通りでいい」という意見がほとんどなんですよ。…
オリジナリティオリジナルな仕事はたくさんあるんですよ。 だけどみんな「弱い」んです。 脆弱なオリジナル、吹けば飛ぶようなオリジナルの仕事です。 それはオリジナル止まりなんです。 「オリジナル+すごい」という感じがあってみんな眼が開く。 でも、すごいんだったらみんながやるはず。 そこは矛盾なんです。 「誰もやったことがなくてすごい」仕事は、 「オリジナルだけど弱い」という仕事が変化したものなんです。 「オリジナルだけど弱い」という時期を平気で過ごさなきゃすごいものは出てこない。 その道を進んでいけばいつか道が開けると本人が思っていても、 周りから見たら脆弱なものです。 それがある日突然評価されたときに、 本人がどういう役割を演じたかというのが分かる。 世間の見る眼なんてそんなものですよ。 オリジナルな仕事をした人はみんなそれが分かっている。
オリジナルな仕事は誰でもできるんですよ。 だからオリジナルな仕事をしたからといってそれ自体ほめる必要はない。 そこまでは、誰でもいけると思った方がいい。
3/17/2008: 教育に関する考え方。