「第千百四十二夜【1142】2006年5月17日 加藤典洋『日本人の自画像』」 @senya
福澤諭吉の発言のあたりを引用ついで西南戦争が終わると、つまり明治維新が終わると、 西郷隆盛が新聞などで一斉に国賊扱いされているのに呆れて、 ひそかに『丁丑公論』に、こう書いた。
これから書くことは、いま発表すると出版条例などにひっかかるだろうから、 あえてひそかに「後世子孫」のために「現況」を書くのだが、 それによって「以て日本国民抵抗の精神を保存して、 其の気脈を断つことなからしめん」とおもう自分の気持ちは伝わるだろう。 自分は西郷とは会ったことはないし、西郷の行動を擁護するものでもないが、 その西郷の企てが破れるや、列島こぞって非難をしているのは我慢ができない。 西郷は一度立って維新を成就し、二度立って目的を果たせず、 いま国賊として非難されているが、この二度のことはその思想も内容も同じことなのだ。 そこには大義名分が正しければこれを果敢に実行に移し、 まちがっているなら大義名分にすら抵抗するという精神が、 「私情」においても貫いていることを示している。
このように福澤は書いたのだ。
そもそもわれわれは国をつくるまでは私情で動き、 維新がおこって国ができれば公的なりうるものだ。 愛国心や忠君心といった公的なものは国家の子供のようなものなのだ。 しかし、国家をそれがないところからつくりあげ、 それがたとえ滅びてもこれを支えるのは「私情」なのである。
昔も今も、「大衆」は依存心の強い無責任な集まりだってことか
「大衆」というより「メディア」じゃないのかな、とか思ったりするど、 まぁいずれにせよ
12/27/2006: 西郷隆盛
5/29/2006: 肩書社会
1/19/2006: ライブドア
6/19/2002: 鈴木宗男
summary: 簡単にパニックに陥る日本人