「1149『中国遊侠史』汪涌豪」@senya
引用もうひとつ、あった。義侠を発揮する必要がないときはどうしているか、だ。 そういう平常の日々には、侠は悠然と、慎ましく、 信じるべき方向に向かって何事かに淡々と従事する。 このことが侠なのである。いたずらに騒がない。いたずらに他者に文句をつけない。 従うべきものに従っている。それでもつねに研鑽を怠らない。 そのうえで、いずれ時がやってくるのを待機する。
侠とは時を食むものなのである。
12/20/2006: 定理に追加。
もうひとつ、あった。義侠を発揮する必要がないときはどうしているか、だ。 そういう平常の日々には、侠は悠然と、慎ましく、 信じるべき方向に向かって何事かに淡々と従事する。 このことが侠なのである。いたずらに騒がない。いたずらに他者に文句をつけない。 従うべきものに従っている。それでもつねに研鑽を怠らない。 そのうえで、いずれ時がやってくるのを待機する。
侠とは時を食むものなのである。