「無根拠性にこそ」@kenmogi
今日の「教育者とは」その3
引用カントの講義スタイルは、その問題をあたかも初めて考えたかのように提起して、 いろいろなアイデアをその場で生みだし、様々な角度から検討し、多角的に眺め、 講義が終わった時には、聴講生は単に知識を得るだけではなく、 そもそも思考というものはどのような方法論で進めるべきなのか、 その技術をも体得したとされる。
カントにあやかったわけではないが、私は、何か話す時に、できるだけ、 まるで生涯で初めてそのことを考えたかのように、 新鮮な気持ちになって、その場で表出されるものをつかもうと努力する。
自分の中には「演出嫌い」(今の世間的な文脈で言えば「やらせ嫌い」って言うのかな) がある(ことは、これまでもちょくちょく書いている, for example, 6/8/2006)。 だけど、そういう「計算してやってる」とかいうレベルを越えて出てくる 自発性とか即興性とか、それがないとダメなんだろうな。 自分のプレゼン技術に関しては、まぁ練習が足りない、という一言に尽きるのだが。 jazz player が譜面をのぞき込みながら弾く solo って、 出て来る音以前にその姿勢に落胆する、そのような意味で。 そういう自由は、土台をマスターしてこそ可能になるものだというのは、 当り前のことだ。土台のないフワフワした自由は「まぐれ」であり、偽物なんだろう。
まとめ。表現レベルには3つある。
1) 練習まったくなし、ぶっつけ本番
2) シナリオを作って、発表
3) そのシナリオを完全にマスターし、一旦すべてを捨てて、自然に発表
シロートはレベル 1 の「本当の」即興とレベル 3 のそれを混同しがち。 keith jarrett が「一切 preparation をしない」というのはレベル 1 ではない。
サマリー:教育について