市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

「科学者に衝撃を与えた「ロマンティックでない」グーグル」@foresight


  • 個人的には、危機感はグーグル自身よりも、 無批判に(というよりも、むしろ我先に)そういうグーグル的なものに乗っかろうとする 人々の方に感じる。

  • ビジネスとか経済には、 前に付き刺さったまま放置してる 「スケール効果のメリット」ってものが厳然と存在するので 自分の中ではまだよく分かってないのだけれど、 少なくとも研究とか純粋科学という領域については、 基本は個人の営み(人生と同じ)だと思っている (ロマンティックだ、といわれるとそれまでだけど)。 この「個」という側面が、ないがしろにされているという気がする。

  • 個をないがしろにしている一因は、研究者にかかってる外圧、つまり「競争」であり 「評価」であり、研究の効率化だろう。

    • 簡単な算数。Aさんがやった成果が年に1つあって、 その知合いのBさんがやった成果が別に1つある。 そのままだとそれぞれ1しか得られないが、 お互いにちょっとコメントしあったくらいにして共著にすれば、 それだけで「成果」が倍になる。 どこに線を引くかには個人差はあだろうし、 それぞれの状況に色々な付帯事項が付くのだろうが、 原理的にこういう錬金術は可能なのが、今のシステム。

    • ちょうど読んだばかりの 「Rさんの来訪とセミナー、研究者の系譜」@mitsuhiro にあった
      わたくしは彼が遺伝子クローニングを始めるときに、 人間関係のややこしさを気にしないで、とりあえず工夫してみずからやったらどうかなどと、 エジンバラのパブで加勢したものです。 それもやはり、BH先生以来のつきあいから来る、 相互の信頼みたいなものがあったのだと思います。 研究の世界では、日本で言えば古い中世の時代にさかのぼっても 紹介状を渡してこの人物は信用できるとした、そのような風習が ごく最近までは残っていました。 航空便でも往復2週間はかかってしまう、 ファックスももちろんメールもない時代では、 そういう類の紹介状を持参した、人と人の交流があったものです。
      にあるように、例えばこういう所に「この人物は信用できる」かどうかってのは現れる。 ってのは(つまり、中世へのノスタルジーってことは)、うむ、 やっぱり「ロマンティック」なのかな。

      • 4/30/2007: ノスタルジックな科学者

      • 9/23/2010: 検事と研究者の違い、拝物思想と拝精神思想@mitsuhiro

    • 研究者としての「矜持」ってもの。ちなみに「矜持」という言葉は、最近知った言葉。 例えば 7/28/2005。 (他にもあったと思ったが……)

    • 業績のカウント方法はいろいろ議論されていて、完璧なものは何一つないのだけど、 共著論文に関して、例えば共著者の数で頭割りするとか、 少なくとも研究業績保存則を課す(論文1に対して業績1が保証される、 つまり「錬金術」の棄却)とかは、 少なくとも科学者的に言って当然ではないかな。

      • 論文数が少なくて、かつ、共同研究も少ない人間の愚痴ではあるんだけど……

      • でも想像として、例えばこういう仕組みになったとしたら、 どれくらい共著者の数が減るかなぁというのは興味がある(ちと悪趣味か)。

    • 業績の「錬金術」には更に、同じネタの使い回しという手もある。 院生の頃、同じグループに居た高木伸さん(当時、助教授)が そういう「論文カルテット」(と言ってたかな、あるネタでまず会議録書いて、 レター書いて、フルペーパーを書く、あれあと一つなんだっけ?) を批判していたのを記憶している。 あと「研究で楽しいことがあるのは(だったか、分かったという気分になれるのは、だったか) 年に数日だ」と言うフレーズも(まぁ言い古されていることだけど、 私の個人史の中では)高木さんから聞いて意識した(頭に残っている)ものだ。

    • References:

      • 3/4/2002: 書くや書かざるや

      • 5/28/2003: 数が大事

      • 3/3/2004: [Opinion] Publish or Perish on PhysicsToday

      • 4/20/2007: 具体的な話し(恩師の影響)

      • 9/2/2008: 業績の数値化について、JCR と IF