市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

「ヘンリー・ペトロスキー 本棚の歴史」@senya


  • 最近、また更新の頻度が上がって来てうれしい千夜千冊から、久しぶりに引用
    ひとつはペトロスキーが「コンピュータは福音であるとともに厄災を逃れられない」 と書いていることだ。厄災を逃れられないとは、 コンピュータはコンピュータ自身によって自分の誤りを気づかないという意味だ。 とくに設計がコンピュータに委ねられるようになって、 建築現場や工事現場の事故が多くなった。 そこでペトロスキーは、それはスリップ・スティックが使えなくなったからだと判断した。
     スリップ・スティックとは計算尺のことをいう。 かつてはエンジニアの誰もがもっていた武器だ。 このエンジニアたちは計算尺が有効数字3桁でしか精度をあらわさないことを 知ったうえで設計にとりくんでいた。 誤差は予想のなかなのだ。ところがコンピュータになって、 この感覚が失われた。 コンピュータが正しい計算をしていると思いこむばかりか、 自分も正しいと思ってしまう。ペトロスキーはそこに文句をつけた。

     もうひとつは、『人はだれでもエンジニア』の最後の最後に、 ジョージ・サンタヤナの次の言葉を引いていることだ。 サンタヤナは『理性の生命』にこう書いていた。 「過去を記憶できない者は、罰として過去を繰り返す」。
     ペトロスキーはこの一文をあるところに見つけて、感動をおぼえ、 それが原文でどんな文脈にあるのかを調べた。そうしたら、その手前にこうあった。 「進歩とは、およそ変化からなるものとはほど遠く、よき記憶力によるものである」と。

  • 定理に追加。

  • やっぱり人間はどんどん機能低下している。 自分でもそのことは感じるが、それが経年変化なのか便利さから来る退化なのか、 判然とはしない。