市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

「出でよ、新しき知識人  「KY」が突きつける日本的課題」@miyadai


  • 「空気を読め」という言葉の持つ訳の分からない状況について、 今の日本社会という文脈から落っこちた人間にもある程度分かるように書いてあった。

  • 以下、その他で目を引いた部分の引用。

  • 引用、メディア・リテラシー
    メディアリテラシーとは、これすなわち「文脈への敏感さ」のことです。
     言い換えれば、文脈を参照することにで内容を割り引く能力のことです。 当該メディアが置かれた利害布置上のポジションを参照して、割り引く。 当該メディアが果たし得る社会的機能を予測的に参照して、割り引く。 割り引いて、ベタに受け取らないようにするのです。
     メディアの流す情報は全て割り引けという概念は、 国境を接したアメリカのテレビのスキャンダリズムや娯楽主義による汚染を危惧する 80年代のカナダの市民運動から生まれました。 日本ではまだ理解されておらず、情報機器を使いこなす能力だと勘違いされています。

  • 引用、日本らしさ:
    日本の国家ならざる社会を護持しようと思えば、 日本人的な素朴さを克服しなければいけません。 しかし、そのようにして生き残った戦略的な日本人は、日本人と呼べるのか? そこで出来上がる社会は、日本社会と呼べるのか。江藤淳はこの問題を考え続けました。
     「オレオレ詐欺」に田舎のお年寄りが騙される。 アメリカ的発想では無防備さが批判されます。 徹底的に研修して社会の複雑を学ばなくてはならないという処方箋になります。 そうすれば自己防衛能力が高まり、「オレオレ詐欺」に引っかかるお年寄りは確かに減ります。
     でもそれでは日本人が日本人の良さを失うことになるかもしれません。 日本社会ならではの匂いを失なってしまうことかもしれない。 そうなると、とりわけ日本に住みたいとか、 日本のために貢献したいという意欲を削いでしまう可能性もある。

  • 1/4/2008: tatsuru.

  • 1/28/2008: そう言えば、面接にて。