市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

「赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文」@yahoo


  • 付記(8/19/2008): 「白紙だったからすごい」とか、何か下らんことで盛り上がっている (というか、盛り上げている?)けれど、そのセンスがよく分からないな。 (それを「ギャグだ」とか言っているものも見たけど、あれ、何なんだろうか?)

    • だって、タモリと言えば、本当の意味の芸能を長年やってきた第一人者なんだし、 即興性についても十二分に分かっていらっしゃるであろう本格的なジャズ通なわけだし。 今回のように、その場で本当の気持ちをぶつけることは、 本当の恩人に対する態度として、すごくまっとうなことだと思う。

    • 個人的には、しかし、死んだ後に何か言うよりも、 生きている間に、きちんと communicate しておく方が、 礼儀として正しいように思っている。だって、
      私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。 それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、 お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。 あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。
      って、何か悲しいと思う。

      • いや、その気恥ずかしい気分は分かるし、 それが「奥ゆかしさ」だったり、「阿吽の呼吸」だったりもするのだろうけれど。 ずっと前に感じた 気分を思い出した。

      • 外国暮らしを長くしていると、そういう繊細な気持ちというか、情緒というか、 そんなものがどんどん無くなってきているな、とは感じる。 多分、今の私は、日本にいる普通の人たちからすると、 随分と粗野で野蛮で田舎臭で垢抜けない人間になっているんだろうな (むかしは逆だった、と言っているわけではない)。 まあ、そうならざるを得ない状況ってのは、 分からん人間には分かりようがないだろうが。

    • っていうか、そんなきれいなこと言わないで、もっと直截的に言えば、 例えば自分がいなくなってから、誰かが「あいつはいい奴だった」とか言われても、 何もうれしくないじゃないか、ってこと。

      • つまり、言い訳せずに意思はきちんと表明しましょう、ということ。
        何が「残念」なことで、何が「あっぱれ」なことなのか、たえず鮮明にし、 そして、このことを必ず表明する。

      • そういえば前に andrea が言っていた 「死んでからもらうような賞賛なんか欲しくない」 というような言葉が、ふと思い出された。

        • あ、もちろんこれは別に、彼が人生一般に対してそう思っているという意味ではなくて、 当然、この言葉を吐いた文脈というものがあって、その文脈に限定された意味に於いて、 彼が私に対して言ったことばなので、必要以上に一般化しないように。念のため。

    • ところで、こういう場合に、繊細な気持ちを残しつつ、 「お礼を言う」以外のアプローチってないのかな。