日本のみっちりとした空気によるプレッシャーについて。
国外に住んでたときから(日本に帰ってきてからも)、 いろいろと違和感を覚えることがあった(し、ある)。 だけど、こういうことは慣れるとすぐに忘れてしまうので、 気づいた時に記録するべきだと思う。 ってことで、この気持ちを忘れてるかもしれない未来の自分に向けて書いておこう。
最近、ああこれは一つの同じことの表れなんだな、と思ったのは、 KY(空気、読め! or 空気、読めない(奴) - cf. 12/22/2007, 1/4/2008, サマリー)とか、上から目線ってやつ。
これの目的は、自分の安全地帯(既得権益と言ってもいいんだろう)を守ること。
その手段として使われる、これらのフレーズは、 日本得意の「くうき」による圧力なんだな。
自分では手を下さず、「みんな、そう思ってるんだから」みたいな 暗黙の了解にさせること、(括弧付きの)「常識」にさせることによって。
端的に言って、こういうアプローチって卑怯だよな、やっぱり。
一旦、その「ジョウシキ」に乗ってしまえば、 あとはこういうプレッシャーを回りに振りまいておくだけで、 自分の安全地帯は確保されるわけだから、ラクなんだろうね。
だから、まあ皆、無自覚に使っちゃうんだろうけれど。
でも、それってやっぱり卑怯だよな。だって、自分では何にもしてないんだから。 そんなのジョウシキじゃんって言って、そこで 思考停止。
似たような(嫌な)かんじは、別のどこかでも感じたけどなあ、と思って考えてみたら、 会社員や公務員を代表とする「組織」に守られた「個人」の(一部の)考え方だった。
事実として、「組織」に守られているのだけど、システムとして確立しすぎているせいか、 守られているという事実に、本当に無自覚な個人。
(かつての私たちのような)「組織」の外にいる人間が、 そういう人と話をしたりするとき、あちらは土台の違いを認識してないので、 同じ土俵の上で勝負、じゃないかもしれないが比較とかするんだよな。
広い意味で言えば、日本という国もそういう「組織」な訳で。