市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

「村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文」@mainichi(lc: )


  • スピーチ原稿の全文を読んでみて、ぼくは春樹さんに謝罪しないといけないという 気分になった。

    • というのは、ぼくの午前中のつぶやき (ichiki_k/status/78996685229015041)
      いや、先の東京新聞の「要旨」 http://t.co/MQY0FdY を読んでみても、
      今回、村上春樹が言った事は、文学者だから言えたような大層なものではなくて、
      ぼくら自身が自分で言うべきレベルの、普通の主張だと思った、ということ。

      posted at 10:27:32
      (注:誤字を2カ所訂正してある)

    • こう思ったのは、何とも言えない東京新聞の「要旨」のせいだった (と、東京新聞のせいにするのも、何なんだが…)

    • と思って、当の「要旨」を見ようとしたら、すでになくなっているようだ (今は10日金曜日の夜10時半)。

    • 検索すると、同系列の中日新聞のサイトに(おそらく)同じものがあったので、そちらを。

    • 村上春樹さんのスピーチ要旨 (2011年6月10日 09時47分)」@chunichi

  • 全文を読んでみての、ぼくの要約:
    何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、
    営利企業の歓迎するところではなかったからです。

    戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、 いったいどこに消えてしまったのでしょう?
    …理由は簡単です。「効率」です。

    (原子力発電が必要という)既成事実がつくられてしまったわけです。
    …高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。
    原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

    原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、
    …ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。

    そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。

    急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、
    その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

    我々は夢を見ることを恐れてはなりません。
    そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ 災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。
    我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。
    人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。
    それはいつまでも受け継がれていくものです。 我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

  • 関連して:以上の要約をして、以下のことを想起した。

  • 10/10/2011: 久しぶりに福島関係のニュースに触れる - システムと効率と