たまには人の振り見よう企画の一つで、 「ソフトマターの物理学2003」 から、 いわゆる「中原実験」の 概要 を見た
「記憶」という term は、 この現象に使うべきでは無いんではないだろうか
科学的に見て、擬人化ってのは生産的なのかな、ということ
「粘菌が迷路を解いた」という人達もいる訳で (cf.10/24/2000)
何をどう考えるのも自由なんだけど、 名前を付けることで見方が狭くなるんでは、不自由だし
他にグッと来たもの、 「鏡の国のニュートン流動場における粒子」。
「この研究会に触発された研究論文の登録にご協力ください」 っての、 こっち (専門家、研究者) 向いてんのかと思って「ほぉ」と思ったら、 あっち (非専門家、非研究者) 向いていた…
「共同利用活動の必要性を誰の名にも分りやすいものにする」 ことは必要であると思う、 「誰の目」の間違いだとして
「ほぉ」と一瞬妄想したものは何だったのか、というと…
もっと informal なレベルでの論文を物性研究に出そうという話とか
もっともっと informal なレベルでのオープンな議論の場とか
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6/13/2008: たまには人の振りを(意識的に)気にしてみようかな。