市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

「第千五十一夜【1051】2005年7月27日 長谷川時雨『近代美人伝』上・下」 @senya


  • 引用
    長谷川時雨はまことに希有な女性です。たいそう貴重な女性です。
    … みずから魂を賭して日本を救おうとした社会活動もきわめて希有なものでした。 …
    つねに度胸があったし、つねに時代を背負おうとした女性です。 …
    こういう女性がいたのです。私の話はこれで終りです。 いまはいったい誰に長谷川時雨を期待すればいいんでしょうね。

  • 松岡氏1993年の講演会のテープからの採録。 これを見て、 恩師の言葉 (5/27/2002) を思い出す
    1974 年に東北大に来て間もない頃教授会で大学改革の議論がありました。 私は「どの層が開放されてパワーとなるのか? 明治維新は下級武士と大地主の息子達が、 敗戦後の改革では男のすべてが解放され、 その時期に必要な情熱に溢れたパワーを得られた。 今、男だけではパワーが足りない」と発言して変人と思われた。

  • 今 2005 年、女性のパワーは解放されたのかな

    • と皮肉ってるのは半分冗談。 自分ができる事はないかと、真剣に考えている。 (cf. 9/5/2005, なかなかいい考えはなんだけれど)

  • 9/10/2005 付記: 松岡正剛がすごいと思う個人的なポイントは、その博識なんかではなくて、 彼の人を褒める桁外れな才能だ

    • 人の悪口を言うことほど簡単なことはないし、 逆に人の長所を伸ばしたり、そこまでいかなくても単に見付けるだけでも難しいのに、 それを軽く 1000 人以上に対してやってのけている

      • ベタベタした、ごますり的なヨイショは、これは簡単だけれども

    • 遊学の II (amazon), 高木貞治の頁「十川治江から来た手紙」から
      おそらくご当人がいちばん熟知していることでしょうが、 松岡さんの表情が光芒をはなち、吸引力を発現するのは、 人を鼓舞し、昂揚させる局面をおいてほかにはありません。 激昂の表現、寂寥の表現ですら、松岡さんにとってはきっとコントロール可能な事象であり、 肯定的グラウンドにのみかかわることがらであるようにおもえます。 脳圧異常や痔疾にさいなまれているときにせよ、 ぼろくずのように眠りこけているときにせよ、 ”光芒直前”の表情には出会うことがあっても、 けっして否定的な表情に出会うことはありませんでした。

    • 教育者たるもの、そういう才能をこそ研かないといけないんだろうけれど、 そういう人はなかなか居ないよなぁ

    • そういえば、人を褒めることの難しさをはじめて「意識」したのは、 何か (雑誌だったっけ?) で松本人志志村けんのことを (正しく) 褒めた文章を読んだ時だった

      • 松本人志という人のすごさとか、 ダウンタンのすごさとか、 (ついでに言うと、たけしのすごさとかも) その実よく分かんないんだけれども

  • 11/20/2007: 平塚らいてう