市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

「近藤淳也の新ネットコミュニティ論」より


  • でたらめさはどこから来るか July 18, 2005 09:41 AM」 から引用

    • 「当事者と違う場所でルールが作られ、 それが絶対的真理であるかのように受け入れられ、 そのルールに疑問を呈することはタブー視され、 現場では理由も示されず本質から外れた管理が行われていて、 …
      … でたらめさを感じる時はいつも、 「権力」や「情報の隠蔽」が関係していそうだと気が付いたのです。」

    • 「自分が何かを運営してそれに他の人々が参加してくれることがあるならば、 できる限りこうした不便さを無くしたい、と常々思っていました。」

  • 情報の私物化を禁止する July 27, 2005 11:11 AM」 から引用

    • 「ここで大事なのは、 「その情報を出すべきかどうか」を情報発信者が判断するのではなく、 全ての情報を出しておいて、 情報閲覧者が「その情報を読むべきかどうか」を判断すればよい、 と考えることです。」

    • 「こうした姿勢がどこから来たのかを考えてみると、 このブログの最初の頃に触れた少年時代の情報の隠蔽への嫌悪感に近い意識や、 オープンソースプロジェクトに対する感動などが影響していると感じます。」

  • まっとうな意見が通る組織に August 19, 2005 08:00 PM」 から引用

    • 「ここで何を言ってもエアコンのスイッチのボタンを"ポチッ"と押して 設定温度を「27度」にすることは叶わぬ願いのようだ、ということでした。 一体館内にいる利用者や職員全員で汗を流しながら、 何を必死で守っているのだろうと思ったのは言うまでもありません。」

    • 「僕は、…意見を言いたいと思いました。でも言いませんでした。
      我ながらそれなりにまっとうな意見だったと思いますが意見を言わなかったのは、 「どうせ言っても聞いてもらえなさそうだ」というどうしようもない諦めがあったからです。」

  • ルールへの盲従 (長い物に巻かれること) に対する 不信感には共感する部分が多い

  • しかし、そこで一歩引いて (図書館長に意見するのではなく) 、 その不満を解消することを売りにする (「自分が何かを運営して」云々) 、 というところが自分とは違う所かな

    • ある意味、正しいエネルギーの使い方かも知れないな

    • 既存のものを修正していくよりも、 ゼロから (自分で) 作ってしまう、という (短気な) アプローチ

    • とか言いながら、自分でも散々いいと言うているなぁ (口ばっか)

      • 8/21/2005: 作れる、作る、作った

      • 12/18/2003: ないなら作ろう

      • 8/22/2003: 「そうか、なかったら作ったらええんじゃ」エツネエ

      • 4/16/2003: ゼロからはじめる

      • 6/23/2002: 本当にやる気のある人は野茂と同じで、 いくらやりにくいと言ったって、 おれ行くよと言ってメジャーに行っちゃうわけ。

    • 人生の主導権 (cf. 2/11/2001) を取り返すには、そうか「大学の教員になりたい」とか言い続けてばかりいないで (cf. 7/21/2005) 、 自分が活かせる場を自分で作るという手もあるな

  • あと、彼とは違って私は、情報隠蔽に「ルールへの盲従」以上の不信を感じてる

    • つまり、隠すことによって情報に価値を付けようという類のこと、 特許とか、姑息な「役得」ってやつ

    • こういうのは公開を前提にする事で少なくともチャラにできそうな気がするけど、 どうなんだろうな

    • 10/19/2003, 3/22/2002, 11/7/2000