市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

JFM 50 周年記念号 がやっと出たらしい


  • andrea が原稿依頼が来たとか言ってたのが、もう 2 年以上も前だったような。 その我々の論文も載っている

    • かなり末席だし、件の論文に関しては私の寄与はかなり少ないのだが、 しかし、こういうお祝いごとにとりあえず交ざれるというのは、 かなりうれしいものだな

  • 巻頭の "Editorial: JFM at 50" は面白く読んだ。 曰く、
    Perhaps the enhanced pace of modern scientific life does not leave us enough time for essay-writing though the reading of such essays is one of the pleasures of JFM-browsing.

    • そういえば、オランダで leen に教えてもらった 25 周年記念での Batchelor の "Preoccupations of a journal editor" も良かった。

    • 2/25/2008: "J.Colloid Interface Sci." について。

  • 学問の良心が保存され機能している この fluid mechanics という分野に魅かれてふらふらと今に至る訳だが

    • 食うために、ある程度はそのへんを犠牲にするべきだったんじゃかったかなぁと 思うことも多いが、こういう文章を読むと、いや、やっぱりそれじゃダメだよなと思う。

    • この辺のことに関しては、宮崎駿は彼の文脈で
      洪水にむかって、 この水はきれいだからといって さらにバケツでを加える
      言っている。 ポイントは皆と同じように泥水を垂れ流すのではなくて、 「きれい」な「水」を加えているところだろう。 しかし、そのきれいな水は量産できないんだよな (少なくとも私には)

  • あんまり脈絡はないが、昨日 BGM の如く始めの部分だけ聞いた 竹内薫と茂木健一郎の対談 (辺りが騒がしそうで聞いていて可哀想だった) のことを思い出した

    • 声高に叫ばれていた「科学とは金や名誉じゃない」ということを、 しかし本気で実践すると、 世界を放浪する日雇い労働者になってしまう、 という現実を黙っていては、キレイゴトに過ぎないんではないかと思った

      • でも、テレビにも出ていらっしゃる (らしい) 人が、 テレビ的なアプローチはダメとか言ったりしてるところを見ると、 一貫しているのか (悪い意味で…)

      • 間違っているけど compromise すべきところはするという潔さが、 まぁ処世術ってやつなんだろう (適応主義者ってことだとも思うが)

    • まぁ啓蒙なんてのは所詮ダマシな訳で、 啓蒙が目的という意味では OK なのかもしれないけど。 あと、どういう経緯であれ、結果として そういう「キレイゴト」がそのまま通じる社会になれば、 学問的日雇い労働者問題も実は自動的に解決されているのだろうし。

  • 2/29/2008: Phys.Fluids の50周年。