インターネット・ラジオ
が急に気になったのは、あるレビュー記事 「西川和久の不定期コラム WiFiオーディオ「ソニー VGF-WA1」を使ってみました!」@pcwatch で評者の音楽環境がネットラジオ中心だとあって、 そういえば最近はどうなったのかなぁと思って。
FreeBSD で shoutcast stream を聞くのは、 いつも(未だに)使ってる xmms でも、 使ったことの無い gnome の rhythmbox でも問題ない。
xmms は playlist (.pls) を食わせれば良い。 rhythmbox は URL 指定しかないのかな?
何を聞こうかと shoutcast に行ってみる。 jazz とか聞いてみるが、ふと rakugo を流している局を一つだけ発見して、聞いてみる。
実は 「第千百七十夜 2007年1月9日 冨田均 寄席末広亭」@senya 以来、落語を賞味する気になって(我ながら影響されやすいなぁと思うが)、 podcast なるものを探して(ダウンロードして)聞いている。見つけた podcast は以下の二つ
ニフ亭 ぽっどきゃすてぃんぐ落語: これは二つ目の人たち。
フジポッド お台場寄席: こっちは真打ちの人たち。古今亭志ん生の噺も二つ聞ける。 名人と言われる人だけど何と言うか、はじめて miles を聞いたときのような感覚を感じた (「何これ? ショボ…」って奴)。 初心者はやっぱり「形」で聞くものなんだな、と昔を思い出しながら。
これらを聞いて思ったのは、落語は jazz と同じ根を持つと見ることも出来るな、と。 古典落語はいわゆる jazz の standard で、 jazz が毎度の演奏を楽しむように、落語も同じはなしでもそれぞれの話者の味を 聞くものなんだろうな(と、今はまだ想像。何しろまだ落語の蓄積がないので)。
上の二つの podcast はどっちも東京みたいだけど、 shoutcast の方は 上方もあるみたい。江戸弁以外も聞いてみたかったのでちょうどよい。
うまい噺も聞いてみようかと CD を探すが、 一枚に 2 話かそこらしか入ってなくて、高いなぁとあっさり挫折。 考えてみれば、一つが 30 分近くにもなるわけで、容量的に仕方が無い訳だが。
3/17/2007: 堀江に人情話をする裁判長
ラジオというなら air-check したいと思うのが人情。調べてみたら streamripper という奴が unix 系でも使えるらしい。
こいつは relay も出来るので録音しながら聞ける。 だけど、例の落語 stream は曲の分割が出来ないみたい。
mp3 を直接切る tool を探したら、 pymp3cut というものを発見。なかなか快適。 あらかじめ切る時間を調べとかないといけないけど。
しかし不便だな。例えば player にボタンが付いてて、 いい曲が流れて来たらポチッと押して終わったらまたポチッと押したら、 ファイルに書き出されるというような事は出来ないのかねぇ。
これって明らかにラジカセ時代よりも退化している。 第一 streaming なんて、音は FM にも劣ってるし。 技術的には何の困難もないはずなんだが、 こういう状況を技術者は許容できるのかな? (ここで言う技術者とは、不可能を可能にすることが生きがいの人のこと。)
こういう不自由を強いているのは、明らかに「業界」なんだよな。
最近見た「着うた」の(彼らの言う違法な)ダウンロードを中学生の何%かが体験している というような記事だったかな、何か頭に来た(自分は実質、携帯不携帯者なんだけど)。
やっぱり etree 界隈で言われてるように、 実際にチケットを買ってライブに出かけるという行為自体が、 こういう構造に no と言う時、生産者をサポートすることなんだろうな。
先日 の The Mastersounds もライブの MC で CD は自分のサイトで買ってくれ、 業界に金を落すんじゃなくて、みたいなこと言ってたな。