市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

「第千二百四十一夜 2008年5月16日 モリス・バーマン デカルトからベイトソンへ 世界の再魔術化」@senya


  • 引用:
    中世までの世界では、「質」がさまざまな部分に染み出していた。
    ……
    けれども、魔術が科学におきかえられてしまってからは(錬金術が化学になって以降は)、 「量」と「質」とはまるで敵対関係のようになった。 かつてマックス・ウェーバーはその歴史的光景を「世界の魔法が解けていく」と描写した。
    ……
    バーマンは、この魔術から科学への変容によって「ミメーシス」という世界観も がたがたと解体していったことを強調していて
    ……
    ミメーシスとは何かというと、語り手に聞き手が身を寄せるということである。 すべての知識を、身体的に、演劇的に、感応的に解釈するということである。
    ……
    このミメーシスを取り戻すことをバーマンは考えつづけた。 そして最終的にはグレゴリー・ベイトソンの『精神の生態学』(446夜) に行きついたのであるが、そこへ行くまでが苦労の連続だった。 なぜなら、そこには“いわゆるオカルト学”が手を替え品を変えて待ち伏せしていたからだ。 グノーシス、ヘルメス学、拡張アグリッパ、延長パラケルススボヘミア主義、 近代カバラ、シュタイナー(33夜)、ライヒカスタネダ(420夜)‥‥。
    ……
    というわけで、バーマンは一挙に「デカルトからベイトソンヘ」というふうに 転換したわけではなかったのだが、 そしておそらくはニューエイジ・サイエンスをあらかた渉猟したのだろうが、 いったんベイトソンの視点に辿り着いてからは、 今度はその視点や思想によって「世界は新たな再魔術化が可能ではないか」 というふうな論旨に進んでいった。
    ……
    (この「再魔術化」という用語は) 「新たに魅了する」ということが主題になっていると見たほうがいい。 フランス語では「アンシャンテ!」(enchant)といえば、 「うん、すっかり気にいった」と意味になるけれど、だいたいはそれに近くて、 体ごと気にいった世界観をどのようにつくるかというのが、 バーマンの言いたかったことなのである。 それをベイトソンに学ぼうというのだ。
    ……
    ところでバーマンは、現代の社会がこのようなベイトソン的世界観をもつためには、 その他の役に立ちそうないくつかの応援隊も繰り出している。
    その一つは、マイケル・ポランニー(1042夜)の「暗黙知」への着目だ。
    ……
    二つ目は、レヴィ=ストロース(317夜)が重視した「野生の思考」のようなものを、 現代人だってその見方と感情を含めてもつべきだろうということだ。
    ……
    三つ目の応援隊には、いろいろのヒントの提供者がまじっている。 たとえばウィリアム・ライヒのオルゴン・エネルギー説であり、 ジュリアン・ジェインズのバイキャメルラル・マインド論である。 あるいはロバート・ブライのグレートマザー感覚の重視や 仏教的な因果律の大切さといったものだ。

    こうしてバーマンが最後に提案するのは、ちょっと意外かもしれないが、 「意識の政治」の確立というものなのだった。
    ……
    むしろぼくとしては、それを「意識の政治」と名付けたいのなら、 安全や安心をばらまくのが政治なのではなく、 不安の解消を「新たな意味の誕生」によって充当したほうがいい、と言いたいところだ。