市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

「「内向き」で何か問題でも?」@tatsuru


  • そこでの主張(は12/17/2008の線)に関係なく、ただ次の一言があったので、 季節労働者が疲れ果てて故郷に帰るような、そういう時期に見つけた、一瞬の共鳴の記録として、 引用:
    しかし、今の日本のメディアを見る限り、自分が100%国内仕様のライティングスタイルを 採用しているということをそのつど念頭に置いて書いている人はあまり多くない (ほとんどいない、と申し上げてもよろしいであろう)。 中には「英語で発信すれば世界標準になる」と思って、 「私はこれから英語でしか書かない」というようなとんちんかんなことを言う人もいる。
    だが、世界仕様というのは要するに「世界市場に進出しなければ飯が食えない」という焦慮、 あるいは飢餓感のことである。
    「私はこれから英語で発信して、世界標準の知識人になるのだ」ということを日本語で発信して、 日本の読者たちに「わあ、すごい」と思わせて、ドメスティックな威信を高めることを 喜んでいる人間は、夫子ご自身の思惑とは裏腹に、 頭の先からつま先まで「国内仕様の人」なのである。
    失礼だけれど、骨の髄まで国内仕様でありながら、世界標準を満たしていると 思い上がっている人間は、自分が世界標準とまるで無関係な 「ドメスティックプレイヤー」であることを知っている人間より、 さらに世界標準から遠いのではないかという危惧はお伝えしておかなければならない。

  • 私が2001年に外国に出ていったのは、それがかっこよかったからではなくて (cf.8/31/2008)、 単純に日本で食っていけなかったから。 だから、箔を付けようという気持ちをもって出ていく人や、 新たなマーケットに挑戦しようとする村上春樹とは、まあ、違う。 そういう気持ちは、最初にパサデナに行くときには、多少はあったかも知れない。 それでも、本意は、そういう戦略的なものというよりは、 もっとnaiveで子供っぽくて純粋なものだったと思うのだけど。 不思議なことに、似たような気持ちを、つまり
    「世界市場に進出しなければ飯が食えない」という焦慮、あるいは飢餓感
    を表した人を(プラスの意味であれマイナスの意味であれ)これまで全然見たことはなかった。

    • 付記:ここで言及しているのは、 確か村上春樹が日本では露出が少ないのに、海外では朗読会とかむしろ積極的に 表に出て行くのはなぜか、という問いへの答えとして言ったフレーズが頭にあったのだけど、 どこで目にしたものか自分でも見つけられなかった。 10/20/2008 のエントリーだと思ったんだけど。

  • これまで長い間、日記を書き続け、さらし続けている、そのわけは、 これまでにも何度か表明しているように、他人に対して書いているのではなく、 自分に向けて、おそらく唯一の確かな想定読者である未来の自分自身に対して 書いている訳だけど、それに加えて、ほんの少しは、 自分と似た気持ちを持つ人に(たとえば馴染みのない土地で暮らさざるを得なくなった人たちに)、 「そうやって頑張っているのはあなただけではないですよ」と伝えたいという気持ちはあった。 私自身は孤独はそんなに苦にしない方だけど(それでも大変なことは少ないにこしたことはない)、 他に密かに孤独な戦いを続けている人が居るならば、と。 とは言え、10年以上書いて来て、さらし続けて来て、 そっち方向で手応えがあったのは、そうだな、これまで2件くらいかな。

  • 1/12/2009: 足元を見よ@tatsuru.