京大染色体継承研究室の閉鎖について(2010年 06月 08日)@mitsuhiro
いや、「京大理学部の寄付のニュース」を見て、 ごちゃごちゃ書いた後に、このブログ。何か、複雑な気分だなあ。
やっぱり、同じ場所/世界/分野に長くいる人間ってのは、 ひどい奴ばかりが淘汰されて残っていくんでしょうかね? (柳田さんも、淘汰される方なんでしょ?)
引用わたくしが沖縄と京大の二つで研究を続けるのに批判的なことを言われる東京と大阪での大物の先生達が何人かいることは具体名もあわせて存在はしっていましたから、...
...わたくしが京大の染色体や細胞増殖の研究のための申請をするのは「犯罪的だ」とまで難詰する人物が首都圏にいて...
どこらへんが「犯罪的」だと言うんだろう? 2つのラボを持ってること?研究費を2つ申請できること?それが「犯罪」なのか? 柳田さん自身ここでいい機会なので、わたくしが沖縄と京大に二つのラボをもっていることを決して犯罪的とおもってない理由も書いておきましょう。
と言って「重複した研究は一切しない」と言ってるところを見ると、 やっぱりチャンスが2倍になってるのが犯罪だと言ってる「偉い」人がいた、 ということなのかな。でも2つラボ持ってたからって「チャンス2倍」とかって 仕組みなんだろうかね? (いわゆる科研費の仕組みを、結局、きちんと学ぶ機会を持てなかったので、知らんけど。)
ひっどい人に運悪く出会ってしまった場合は、 やっぱり「ああはなるまい」と思って生きていくしか、ないんだろうな。
一発ぎゃふんと言わせてやろうとか、間違いを正してやろうとか、 思ったら、もっと大変なことになるんだろうな。
しかし、こういうのって、日本的って言うんだろうか?国内の研究者で賞めてくれる人もねぎらってくれる人もいませんが別にそれを求めてやってるわけではありません。でもひとりぐらいにはねぎらってくれてもいいじゃないかと思ったことはあります。結局いたのはひとり犯罪的だと言われたことです。
人のことをほめない、陰口(gossipping)はする、面と向かうと何も言わん、そういうの。
いい機会なので、柳田さんの日記に言及した歴史をまとめてみよう。
8/27/2005: 04年度退職教官インタビュー
8/31/2005: 日本人に対する予測
12/6/2005: 責任の所在、便利でも危険が内蔵されるもの
5/19/2006: サックのはなし
6/1/2006: 不得意なこと
9/12/2006: 人が亡くなるということについて、「柳田さんの日記」を見て思ったこと
10/1/2006: 学術会議会長選挙、耕耘機、地をはう学風
11/3/2006: 暖かい文化の日、新たな論文の書き始め、不正の防止について
5/22/2007: 最近のヒット数、京大宇治時代?
5/29/2007: 学会ゴロ
読み始めたきっかけは何だったかなあ?もっと前からだと思ってたけど、 2005年からだったのか。