「今日のダーリン(1/8/2011)」@1101 - いわゆる一つの天才論。
引用練習でいくらバットを振ってもだめ、 実際の試合の緊張感のなかで、 打席に立って思い切って振ったら、 その一振り一振りがすごい経験になっていく。
これ、ぼくは、いろんな意味で実感がある。
一つは学生時代の部活。サッカー部に入ってたのだが(万年、補欠だったなぁ) 練習のための練習をしていたと思う。実践では全然、使い物にならなかった。
一つは研究者の頃、学会とかで聴衆として聞いていて、質問するということ。
学生の多くは、後ろの方にこそっと座って、じっと話を聞いて、 人の質問を聞いて、質疑応答を聞いて、何かしらノートに記録して、 それで去っていく。後で、仲間内で、あれはどーのこーのと言う。
それって練習でバット振ってるのと一緒だよな、と思う。
実際に手を挙げて、みんな聞いてる前で講演者に自分が分からなかった点を 質問するってのは(的外れだったり、自分の無知をさらすだけだったり、 はずかしい思いをするかも知れないが)実際の試合の緊張感の中で、 思い切りバットを振っているのと一緒だよな、と。
実際に分かれば、ふむふむと言えるのだけど、 これを分かってない(気付いてない)人間に、いくら言っても、 本当に分からないんだろうな、と思う。
みんな、どんなに叩いても響いてこない、出来の悪い太鼓ばかりだなと思うことが多い。
まあ、叩き方も悪いのでしょうが。
と、鶴瓶との対談の新しい回が出てるかなと思って見に行って、出てなかった、と がっかりしたついでに見た「今日のダーリン」。
そうか、週末は連載は休みなんだ。
そういわれてみれば、そうだったかもしれない。
と、日記回帰の新鮮な気分を満喫。
いいなぁ、何も気にせず(というのは、 140文字ってこと)思った事を、どんどん文字に出来るって。
参考:ぼくのツイートから、「天才」で検索すると… (twilog の検索「天才」)
ichiki_k/status/10194539394367489学問してる人の多くは天才じゃない故こだわった人が多いってのが1つ。
天才に見えても成長の結果が大半(格好つけはそこを隠したがるが)
例、長嶋茂雄ってのが1つ。
ついスターから
RT @wasemasa やっぱり真性の天才は存在する。どこの世界にも。
こういう事実に直面すると諦めたくなる。
posted at 13:52:22 12月2日
ichiki_k/status/13133372486324224ぼくはそうは思わない(ようになったのは、
帰国してから見た長嶋茂雄と王貞治のドキュメンタリーを見てからだ。
長嶋は努力の人だったって奴)
RT @akanets けれども、多くの人が天才になりたがる。天才然と振る舞いたがる。
後天的になることはできないのに…
posted at 16:30:14 12月10日
ichiki_k/status/13133905934680064ぼくは(自分の研究上で)世界レベルの才能ある人には沢山、 ある場合は近しく、会ってきた。
で思うのは、偽物ほど態度がでかい、態度の大きさは不安の裏返し、ということ
RT @akanets 多くの人が天才になりたがる。天才然と振る舞いたがる。
…その姿の、なんと愚かしく醜く見えることか。
posted at 16:32:21 12月10日
ichiki_k/status/15247703541817344今日の今日のダーリン http://www.1101.com/home.html から名言
『矢沢永吉という人間が、生まれたときからこうだったのか、 だんだんと矢沢永吉になっていったのか。
ぼくは、後者だと思うんです。
「生まれついてのヤザワなんて、いない」と』
いわゆる一つの天才論、かな
posted at 12:31:50 12月16日
付記(1/9/2011): 糸井さんの野球の打席のたとえ話が最近あったなぁと思ってたが、見つけた。 12月7日のツイートから (ichiki_k/status/11945670206296064)そうか最近の若者はベンチに座ってるだけで打席に立ちたくない?
んな若者のやる気をどう引き出すかね
RT @itoi_shigesato お若い方々よ。
打席に立ったとき、三振するのも…アウトになるのも、かまわない
…いけないのは、ただひとつ「打席に立っていることがよろこべないこと」だ。
posted at 09:50:44 12月7日