市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

世の中には2種類の人間しかいない


  • という言説(statement)は、誰にでも無条件に言える、つまり一般的な真理だ。 ポイントは、
    ○○な人か、そうでない人
    と、 A and not A の形にすること。論理学 (^-^)

  • てな蘊蓄はおいといて、今ここでぼくが吐き出してしまいたいメッセージは、
    もし自分が頭脳労働者で、
    自分の分野で自己表現できていないなら、
    自分の能力の未熟さを直視し、
    自分を高める努力を具体的にしろ
    ということ。

    • いわゆるホワイトカラーなサラリーマンで、 創造的な仕事をすべき場所にいる人間に対するはなし。

    • 彼ら/彼女らに、まず自問してみろ、と。つまり、

      • 作家なら、文章で自己表現できているか?

      • サッカー選手なら、プレーで自己表現できているか?

      • 楽家なら、演奏で自己表現できているか?

      • 科学者なら、研究で自己表現できているか?

      • プログラマなら、コードで自己表現できているか?

    • できている、と胸を張って言えない場合は、

      • 作家なら、何をすべきだろう? ぼくは作家からは一番遠い場所にいる気がするので、よく分からない。

      • サッカー選手なら、自分の技術を高めるようトレーニングするのかな?

      • 楽家なら、技術を高めたり、 あるいは一流の音楽家と共演したりするのもいいのかな?

      • 科学者なら、足りない知識/技術を怠りなく1つ1つ積み上げ、 また世界一流のホンモノの研究者を身近で感じるのもよいのだろう。

      • プログラマなら、プログラミングのスキルを高めるしかないだろう。

    • プログラミングのスキルを高める方法には、
      勉強する、コーディングする、
      勉強する、コーディングする、
      勉強する、コーディングする、
      他になにかあるだろうか?

    • プログラマは、恵まれている(たとえば、音楽家や作家にくらべて、という意味で)。

      • なにしろ、自分たちが書くソースコードはコンピュータによって論理的に処理された結果が 彼ら/彼女らの成果物であるから。

      • 間違いは(基本的に)ソースコードに現実に存在するものだから。

      • 神様に祈る必要も、神社に裸足でお参りする必要もないのだから。

      • 参考、サマリー:デバッグという行為

  • なんでこういう事に思い至ったかというと、最近よく
    世の中には、作る人間と、消費する人間の2種類の人間がいる
    ということを感じるから。クリエーターと大衆、というような話をしている。

    • 最初に書いた「A or not A」形式ではないので、 crystal clear ではない、かな。

    • 実際、必ずしも「作らない人間」=「消費する人間」とは限らないし、 「作る人間」が同時に「消費する人間」であったりもするけれど。

    • でも、大雑把に言うと、消費する事は簡単で、まぁ誰にでもできる (正しく消費する、つまり賞味できるかどうかは、それなりのスキルを要するが)、 どんなものであれ、それを作る、つまり形にすることができる人というのは、 (どういう訳かは知らないが)比較的限られているように見える。

    • ぼくがここで言いたい「作る」という行為は、ゼロから(スクラッチから) 創り出す営為をさす。なので、既存のコンテンツを修正して「これはオレの作品だ」
      というような人は、とりあえず「作れない人」にカテゴライズしておく。

    • 世の中見渡すと、「あ、これはアレのパクリだ」とか、 「アレをこの設定に焼き直したものか」とか「アレとコレをミックスさせたんだな」 ってものだらけ。

    • 本当にオリジナルなコンテンツは、貴重であり、 それが創り出せる人材の貴重さは、もちろん、言うまでもない。

  • ここに、プロという概念を持ち込んでくる。

    • ここで1つのポイントは、「プロという看板を掲げるからには、云々」 という、1つのレベルというのがある、ということ。

    • プロのサッカー選手なら〜〜とかいうやつ。 プロの作家なら〜〜でもいい。

    • これは、先に話した「作る能力」を持つ、という風に言いかえる事ができると思う。 つまり「プロ」とは「作ることができる人」ということ。

  • 一方で、「プロ」という概念に派生してくるイメージに 「サラリーマン」という言葉がある。

    • 意味としては、学生とか職に就いてない人に対する 概念としてのそれ。だから、じゃあ自営業者は?とかいうはなしではなくて。

    • 職に就くということは、多かれ少なかれ、誰しも経験することだ。

    • その際、つまり就職の選考過程において、ほとんどの場合、 先程はなした「作る能力」については本質的な部分として問われる事はない。
      (形式的に、あるいは、きわめてレベルを落とした形で問われる事はあるが。)

    • その結果、「作る能力」がない「プロ」が出てくる、それも結構な数で。
      (というか、恐らくは「プロ」の大半は「作る能力のない人」の方だろう。)

    • 参考、サマリー:職業、プロ

  • 思い込みというのは恐ろしいもので、 現実とは関係なく、そうであると信じ込んでしまう場合がある。

    • 特に、日本人は世間とか、お上が決めるルールとか、みんながそういうからとか、 くうきとか、そういう思い込みを無批判に受け入れやすい傾向があると思う。

    • その結果、実際には作る能力のないプロなんだけど、 「自分はプロである」という状況と、「プロとは作る能力のある人」という規範から、 (自分にその能力があるかどうかという検証プロセスをすっ飛ばして) 「オレはできる」と思い込む人が出来上がる。

    • そういう「自分はすごい」と思ってる(けど、能力のない)人間は、

      • 自分の設定するレベルをクリアできずに腐るか、

      • 人がつくったものをマネしていい気になるか、
      そんな感じ。

    • いや、まだモノマネでも、気の利いたモノをまねるのならまだマシな方だ。

      • そういう人間は、少なくとも鑑賞する能力は持っている。

      • レベルの低い人間は、何がいいものなのかを自分で判断する事ができないので、 「みんながいいと言っているもの」のモノマネしかできない。

      • これでは、もうほとんど周回遅れに追い抜かれるランナーのような状態だ。

  • 自分の就いている職業で、自己表現ができているか、自分でチェックするのは簡単なことだ。

    • 他人の目からそれをチェックするのは、自己チェックよりも格段に難しい。
      (だって、誰しも自分の事をよりよく見せようと偽っているから。)

    • でも、現実を直視して、もし今の自分にその実力が備わっていないのならば、 それで、それでもまだ自分はその仕事で生きていきたいと思うのなら、 話は簡単で、今この瞬間から、きちんと自分を高めていけばよい。

  • 自分に対する謙虚さのない、向上心のない、能力のない人間は、 5年たっても、何者にもなれない。

    • 10/20/2011: 「より速く適切に学べる人:その理由」〜失敗から学べるか否か