「言語を学ぶことについて」@tatsuru
最近のんびりブログを徘徊する時間がないのだけど、 久しぶりに樹さんのブログを、ツイッター経由で見た。
以下、ぼく的にヒットしたポイント:
報償があらかじめ示されると、学習意欲は損なわれる。 (なぜならば人は)最小の努力で、最大の報償を得る方法を考える(から)
だが、そうやって最短期間に最高効率で身につけた英語力は、 何年もかかって英語の小説を読んだり、英語の映画を見たり、 英語の音楽を歌ったりしながら、じわじわと身につけた英語力と比べたときに、 その厚みや深みにおいて比較にならない。
「熟達した日本語の遣い手」というものがありうること、 長期にわたる集中的な努力なしには、そのような境位に至り得ないことを 人々は認めたがらない。
英語を最小の学習努力で習得しようとする費用対効果志向と、 日本語はもう十分できているので、あとは量的増大だけが課題だと 高をくくっているマインドセットは どちらも言語というものを舐めている。
ぼくは(自分が要領の悪い人間だったからだと思うけど) 効率や結果ばかり考える軽薄なタイプの人は好きになれないんだけど、 それはこういうことが理由の一端にあるんだなと思った。 簡単に手に入るものは、結局、その程度のものでしかないと思う。