「第千八十二夜【1082】2005年12月8日 ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』」 @senya
先日聞いた茂木さんの講演を思い出す
普遍性と流通性との混同に注意、か。 そう、俺が目指しているのは流通性じゃない普遍性なんだ!と胸を張って言う、と。
でも、世の中、本当に企業によって歪められているよなぁ、と かの偉大な grateful dead までもがスーツに尻尾を振りかけたというニュースを見て思った
このニュースの下らなさを強調してるのは、 メインのギタリストは既に亡くなっていて、 だから多分、残された人達が過去の遺産で食っていくために算段してこういうことに なったんだろうな、ということ。
apple のせいで jam band 系に端を発する、 観客主体の非営利なライブ音源流通は、 蹴散らされてしまうのかな
ipod ってのは、ゲーム機ビジネス (やケイタイ・ビジネス) と同じで、 ハードに投資してソフトで回収という仕組で、 まぁ必然的に囲い込もうとする訳で、 そこに嫌悪感は感じないんだろうか
楽することで失う (かもしれない) ものってのに、 気持はいかないのかな (日記などで itune はいいと言っている人達は)
講演について、当の茂木さんが流通性の意味で現在かなり有名になっているらしいんだが (日本ローカルなテレビ・メディアに毒されていないので分からない)、 そういう人がこういうことを言うのは、単なる皮肉なのか、実は必然なのか
対話にも出てたが、やっぱり「柔軟性」こそがポイントなんだろうな、本当は
それは、時には「要領の良さ」として映ったりもするんだろうが (「要領良く」というのを忌避しているのは、単なる格好付けなのか、言い訳なのか >自分)
何かの偶然なのかどうかは知らないが、ここ数日間、 こういう不安 (不満) に tuning してしまっているみたいだな