市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

不思議な事。


  • 最近mac userになったのだけど、その少し前から、apple関係のニュースを見ていて 不思議に思ってることがある。 メディア(いまの場合はインターネット・メディアということになるけど)は、 消費者を評論家とか投資家とかにしたいのかな? jobsのプレゼンがすごいと言うけど、あれは基本的にappleにお金を預けている投資家に対して 「ほらうちの会社はあなたたちのお金でこれだけ利益を生み出してますよ」という話で、 それをユーザーというか顧客というかがうれしそうに「そうだそうだ」というのは、 何かおかしいよな、と。jobsの健康状態が過剰に株価に影響を与えている状況とかも何だろう。 そりゃあ会社が傾けば最終的には消費者も悲しい思いをするだろうけれど、 その辺りの情報は基本的にtechnicalなものというか、 本来そっちの専門家の人たちにとって有益な情報なはず。

  • 似たような気分は、テレビ番組の「視聴率」にも感じている(というのは前にも書いたと思う)。 何で視聴者が視聴率を気にしなければならないのか。 糸井重里が「今これが売れていますよ」が宣伝文句として機能している状況に 失望してコピーライターから離れていったみたいな話があったけど、 どこか似たような話に感じる。(とかって、どんな形であれ、宣伝とかコピーとかは、 何かしら「だまし」だと思うし、だから優れたコピーだろうが糞のようなコピーだろうが 程度の問題だと個人的には思っているけど。 まあ、その「程度」が徹底的に地に落ちてしまったというのが、糸井重里の失望なんだろうけど。)

  • これも何の深い考えもなく印象だけでフワフワと感じている事だけど、 今時の企業って、ちょっと景気が悪くなったと言って生産調整とか従業員解雇とか しなければ立ち行かなくなるほどカツカツの経営をしているのだろうか、と。 大きくなる事のメリットは、そういう外的な影響を相対的に小さくする事なんだろうなと 素朴に思っていたのだけど、今の右往左往を見ていると、どうしてもそうは思えない。 全体のシステムのどこかが異常にgreedyになっているのだろうか? もしそうだとすると、それはきっと経営者でも労働者でも消費者でもなく 「投資家」なんだろうなあ(ため息)。

  • 最初の疑問に対する答えは、実のところ、単にメディアがヘタレになっているという ところなのかもしれないが。単に情報を右から左に渡すことしかしてない(できない)という意味。 appleが投資家に状況説明をするという意図を持ってやってるプレゼンを、 深く考えずに、消費者に「これが新しいニュースですよ」と流してるだけ、と。 新聞が、警察の発表や大臣の記者会見の情報を単に右から左に流しているように。 そういうものを有りがたがるような「変な」専門家にはなりたくないものだ。