市來健吾の日記

プログラマ、(元)物理屋(ナノテク、流体)

最近の読書シリーズ、村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」


  • (9/27/2010 09:20:41) 引用:
    腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。
    悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。
    そう考えて生きてきた。
    黙って呑み込めるものは、そっくりそのまま自分の中に呑み込み、…
    物語の一部として放出するようにつとめてきた。

    • 形を変て出さないと、か。

  • 10/2/2010 今朝の読書から

    • (10/2 11:21:54) 引用(p.43):
      まわりの多くの人々は、そういう趣味的な商売がうまくいくはずがないし、
      世間知らずの僕に経営の才覚なんてあるわけないと予想していたようだが、
      予想は見事にはすれたわけだ。

    • (10/2 11:22:04) 引用(p.50)
      そして熟考の末に、店をひとまずたたんで、一定期間小説の執筆に専念することにした。…
      まわりの多くの人々は、僕の決断に反対した。…
      そして多くの人々はおそらく当時、僕が専業作家として生き延びていけるとは予想していなかったのだろう。

      • 感想1(10/2 11:31:46)
        世間とか他人とかの言うことは、参考にするべきときもあるが、
        基本、聞いていてはダメよ。
        自分の責任で、自分の考えで行動するほうがよい、と。

    • (10/2 11:22:15) 引用(p.51)
      この小説(羊をめぐる冒険)を書き上げたとき、 自分なりの小説スタイルを作りあげることができたという手応えがあった。…
      「これなら、この先も小説家としてやっていけるだろう」という見通しも生まれた。

      • 感想2(10/2 11:31:57)
        僕も、論文リストの最初の数本(学位とるまでのやつ)は、「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」で、
        ジョンとの共著が「羊をめぐる冒険」かな。
        「これなら、この先も研究者としてやっていけるだろう」と感じられた。

      • Ichiki, Brady (2001), Phys. Fluids が、それ。 これは、 caltech に行ったとき、帰る前に一本は論文を書きたいと思って、 自分で考えていたネタを draft にまとめて (4/19/1999)、 john に「どうかな?」と渡したもの (4/22/1999)。 それを、おべっかとか言わない john が「悪くない」と言ってくれたこと (4/30/1999)が、 ぼくが「これなら、研究者として行ける」と思った理由。

        • 論文執筆から受理までの流れは、受理されたときの記述 (10/20/2000) にある。そこにも「これなら…」の気持ちが書いてあるし、 4/20/200710/25/2007にもある。

        • この論文の研究上の意味を分かりやすく書いた文書は、 ここにまとめたが、短いし、こっちにもコピペしとこう。
          流体の流れを特徴づけるレイノルズ数が小さい場合、つまり小さいスケールでの流体力学は粘性が支配的になります。このとき、流体中に分散した粒子に働く力とその速度の間には、線形の関係が成り立ちます。この多粒子問題の解は、たとえ低レイノルズ数での支配方程式であるストークス方程式が線形であっても、単純な2体相互作用の重ね合わせではなく、一般に多体効果が存在します。本研究では、これまで不明であった抵抗問題での反射法の収束性に関して、はじめて、必ずしも収束しないことを証明しました。易動問題においては反射法の収束性が証明されていましたが、本研究の結果はそれとは対照的な結果です。また、抵抗問題での反射法が発散する状況が粒子が接近した配置の場合であることを特定し、一方、収束する場合は、この反射法が易動行列の逆行列の計算に等価であることを数学的に証明しました。

        • いや、正直、この4ページの論文、 これが今もってぼくにとって一番の出来の論文だと思う。 (まあ、この程度か、ということも言えるのだけど。)

        • それに今思うと、 john と共著の論文が書けたということは、 それもぼく自身のネタで書けたということは、それ自身、勲章のようなもんだと思う。

        • かの JFM に、単著で出せた論文よりも、ぼくは学問的にも価値があると思っている。 (そっちの解説はこちら。)

          • いや、こっちの論文も john に共著になってくれないかと頼んだんだけど、 john はこの仕事はぼくの仕事だから単著で出せ、と言った。 (「悪い意味じゃない」と念を押して。)

          • このように JFM に単著で出せたということ自体は、その時は素直にうれしかった。 でも、その内容については、今は必ずしも手放しで喜んではいない。

          • 例えば、有り体に言えば、あれは FMM を Stokesian dynamics に plain に 「応用」しただけ、とも言えるわけで。あと、文句を言うとすれば(いや、結構、 自分に厳しい性格なのです)、数学的に、あのアプローチはやっぱりイモだったな、と。 やっぱり spherical harmonics を使った方が、筋はいいと、今は思ってるんだな。

        • 数値化された業績と、著者自身の「正直な」価値とは、どうも食い違いが多きようだね。

          • 9/2/2008に調べた 結果の並びを見ると、何か考えさせられるな。

        • 3/6/2011: ぼくが影響を受けた5人から、四人目。

      • ついでに、他の自分の論文の(非専門的な)解説もしてしまおうかな。 (あ、別に酒なんか飲んでません。)

      • Johns Hopkins での andrea との一連の論文 (解説はここ)は、結構よい出来だと思う。

        • 内容は基本 andrea のものだけど、特に Phys. Fluids に出した奴 (Ichiki, Prosperetti 2004)は、 ぼくなりの reformulation で押し切って (9/24/2003)、 その結果 andrea の理論の適用範囲が彼が思っていた以上に 大きなものであることが言えたと思う。

        • 手下(てした)としてした仕事だけど、自分の色もきちんと出せた、 そういう仕事だと思う。

        • 本当なら、あれは、もっと連作で出す(べき)仕事だったのだけど、 その連作2本目の referee の一人が、今まで出会った中で最低の人間だったり、 大変だった。(この referee のおかげで entourage という英単語を学んだよ。) cf. 5/4/2004

          • この「幻の第二報」についての記述は、たとえば 投稿時(3/5/2004)や、 似たような論文(7/10/2007)など。

        • そうこうしているうちに、ぼくの雇用が時間切れになってしまった(研究費のこと)。 予定されていた論文が出れば、どうこうなったかというと、そうでもない気がするが。

        • ぼくは、 john については研究者生活をはじめてから 既に(論文を通して)心の師だったわけだけど (10/30/2006)、 andrea はそういう偉大さを一切知らないで知り合って、過ごしてきた。 学問的には本当にすごい偉い人なのだけど、とてもお茶目で、暖かい人だった。 自分の給料よりもぼくたちのことを考えてくれていた。 自分もそういう年寄り(すみません)になりたいと思った。

      • UWO での仕事(解説はここ)は、自分にとって全く新しい分野に飛び込んで、 自分にとって全く新しいテクニック(MDのことです、 それ自体、その道の大学院生なら誰でも使ってます)を使って、 自分らしい論文が書けたと思う。

        • ここでは、ボスがちょっとやばくて、いろんな意味でうまく行かず、 そっちが大変だった(例えば9/19/2006)。

          • だって、結局、一人抜け、二人抜け、と研究室はなくなっちゃったんじゃないかな? (10/19/2006, 2/5/2008)

        • そんな中でも、ある程度の結果がまとめられたので、自分の中では満足している。

      • NINT での仕事(解説はここ)は、やっとぼくがやってきた microfluidics/nanofluidics の活躍する場を得た気分だった。

        • 相変わらず、論文の量産みたいなことはできなかったけど、 基礎的な研究、応用への道具立ての整備とか、一歩一歩進んでいっていたと思う。

        • 残念ながら、人生プランの再考などで、任期2年で日本に戻ってきたので、 先方にはやりかけのままになり、申し訳なかった。 自分にしかできない仕事を誇りにやってきたのだが、このような状況では、 それが逆に申し訳なかったな、ボスたちに。(誰か引き継いでできる人材はいないか? と聞かれても、正直、多分いないからな。いいのか、悪いのか……。)

        • ここでのボスの andriy には、本当に感謝している。 どこの馬の骨とも分からないぼくのことを信頼して、雇ってくれたことに。 その期待に答えられた自信は、ちょっとないな。

    • (10/2 11:22:25) 引用(p.52)
      羊をめぐる冒険』は…編集部にはまったく気に入られず、 ずいぶん冷遇されたという記憶がある。…
      でも読者はこの作品を熱く歓迎してくれたし、 僕にとってはそれがいちばんうれしいことだった。

      • 感想3(10/2 11:32:07)
        春樹さんと決定的に違うのは、つまり私が甘く見たのは、

        「読者はこの作品を熱く歓迎してくれたし、僕にとってはそれがいちばんうれしいことだった」

        ということだね。
        研究者は大衆に迎合しないで本質的なことを追求していればいいと切り捨てていたかも。

    • まとめ。(10/2 11:37:50) 世間とか他人とかの言いなりになってはダメだけど、同時に、そういう世間の10人のうちの1人が賛同者になってくれるようでないと、ね。つまり、だ、久米宏は正しい、と。僕は、そうだな、経験的に言うと、多分1000人のうちに1人くらいでしたかね。じゃ、ダメだ。

      • 9/1/2010: 「ボクは100人の視聴者がいたら、そのうちの10人が賛同してくれたら大満足」(久米宏)

      • 付記:これはここで読んだ部分の直後(p.59)に「走ること」に実際に書かれてた話を言ってる。 引用
        「みんなにいい顔はできない」、平ったく言えばそういうことになる。
         店を経営しているときも、だいたい同じような方針でやっていた。… (店に来た)その十人に一人が「なかなか良い店だな。気に入った。また来よう」 と思ってくれればそれでいい。 十人のうちの一人がリピーターになってくれれば、経営は成り立っていく。

  • 10/7/2010 の読書から

    • (10/7 23:17:43) 引用
      ある種のプロセスは何をもってしても変更を受け付けない。
      そしてそのプロセスとどうしても共存しなくてはならないとしたら、
      僕らにできるのは、執拗な反復によって自分を変更させ(あるいは歪ませ)、
      そのプロセスを自らの人格の一部としてとりこんでいくことだけだ」

      • (10/7 23:19:51)
        全く別の文脈で響いていたのだけど、今この瞬間のぼくには、
        歯が痛いという状況について語っているとしか読めない。
        cf. 10/9/2010: 虫歯事件

      • ここで言ってる「別の文脈」ってのは、まあ主に人間関係だな(夫婦とか)。 でも、これ、何にでもあてはまる話だよね。

  • 関係ないけど、ちょっとした思いつき。 (10/8 22:50:33)

    • 「年を取ることに付いて語るとき、ぼくの語ること」というタイトルだけ思いついた。

    • 英語では what we talk about when we talk about age (or aging?)

    • それだけ。

  • 10/9/2010 の読書から (10/9 12:56:32)

    • 引用(p.103)
      走り続けるための理由はほんの少ししかないけど、
      走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。
      僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。
      暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。

  • 村上春樹にかんする、ぼくのつぶやき Add Star」をとぅぎゃりました。

  • 2/12/2011: [意訳]天才でない故に、分析的なスキルを身につけることができた(bill evans)

    • これに対応する春樹さんのことばは、 ichiki_k/status/26914467441
      春樹走ることp.107-109
      『(小説家に必要な資質は才能、集中力、持続力)
      (集中力と持続力)はありがたいことに才能の場合とは違って、
      レーニングによって後天的に獲得し、
      その資質を向上させていくことができる。
      …この作業にはもちろん我慢が必要である。
      しかしそれだけの見返りはある。』
      あたりだろう。